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チャーハンスイーツライティングブログ

落語『代脈』

半人前の医者、銀南がしつこいほどボケ倒す。これを楽しむのが作法なのかもしれないけどネガティブじゃないおもろなさ。それよりも銀南と籠の人との関係がいい。本筋と関係ないからあっさり終わるし、ネットで検索しても名前が出てこない籠の人だけど、銀南を一人前の医者のように扱い、世間のことも教える、その関係性がいい。ここだけずっと見ていたい。

神々しい食卓

情熱大陸所ジョージ』をみた。番組後半、所さんが大事にしているウチでの食事風景を、空気だけでも味わいたいと番組スタッフがムービーを渡す。「休んでなさいよ」とスタッフを気遣う所さん。

所さんが大事にしてる世界を、空気だけといえ、そんな簡単に見せるわけがない。撮ってきたよ、という言葉を真に受けて再生したら、所さんが歌ってるボケでも炸裂させんだろと思ってた。

しかし撮影されてたのはスープや回鍋肉、自分のとこで畑でとれた野菜が並ぶ食卓。奥さんの「ごはんだよー」に反応する所さんファミリーガヤ軍。神々しい。マジでそう思った。

他人が大事にしてるもんなんて、こっちしたら無価値なもんなのになんでだ。

所さんがテレビで自分のことを「私」という理由に売れ続けてる理由のようなものをみた。そんなマジメな・・・・・・嘘であってくれ。

西野カナのスゴさ

昔々にもジャイアンはいた。義太夫リサイタルをみんなに聴いてほしい大家と、いろんな理由をつけてリサイタルを回避しようとする店子や使用人たちのドタバタ劇、落語『寝床』を志ん朝さんで楽しんだ。

噺の中心は『ヘタな義太夫』なんだけど、直接的に『ヘタ』という表現が誰の口からも出てこない。リサイタルに呼ばれた人達は、なんとしても行きたくないので、体調が悪い、仕事が忙しい、身内に不幸があった、なかには覚悟を決めたけどその現実を受け入れられず声を上げて泣き出すひとまでいた。

『ヘタ』と直接言ってしまえば、きいてる側も「ヘタなんだなぁ」としかならないところ、人々が人情を捨て、ひっくりかえった虫のように手足を必死にバタバタさせることでヘタ以上の『カオス』をうみだしていた。それに気づいたとき、「おおっ…」と思わず声がもれた。

会いたくて会いたくて震える西野カナってすごいなぁ。

うれかな、秋の気配

朝、台所にたつ。この季節なら洗い物をはじめるまえに、開けられる窓すべてをヒステリックに開けるのに、2枚目の皿を泡まみれにするまで窓が閉まってることに気づかなかった。

それから台所の窓をあけたけど、涼しい風を求めてではない。「どれくらい冷たい空気がウチの周りにあるんだろう」という動機からだ。

秋が笑顔で近づいてきてるのを感じてうれしい。でも悲しい。

おしい人、春風亭一之輔

坊主頭、こだわりの強そうな眉毛、何かに怒ってる目、人を食った言動、あと、少々の狂気、そんな魅力たっぷりの春風亭一之輔が残念でならない。

桂米朝さんが言った「落語は催眠術である」と。そのとおりだと思う。そば、シシ鍋、飴玉、柳陰、どれもそこに見えるし、雪を踏みしめる感触も朝顔咲く夏も感じられる。それが落語だ。

そんな世界観を落語家自らが、現代くすぐりという金属バットで粉々にしといて、その本人が突貫工事で世界観をつくりあげるんだけどサゲに間に合わない。サダキチの背景はクロマキーのままだ。

現代くすぐりを多用する人は自分が犯した罪の重さをわかっていない。登場人物たちからもクレームがはいってるはず。

だから現代くすぐりはキライだ。そもそもおもしろかったことがない。

そんな現代くすぐりを春風亭一之輔は、あのオーラのわりに多用するんだ。

こういうと「春風亭一之輔は現代くすぐりを多用するか好きになれない」という方向にすすみそうだけどそうじゃない。それよりも「現代くすぐりをいれるのがキャラに合わない」というのが感覚として正しい。

うまくいえないけど、とにかく「おしい人」ということです。

音の無い世界

一瞬だけ、ワタシの世界から音が消滅した。

カリカリが減ってないのを確認して、食べさせようと専用クーラーの前で机に突っ伏して寝る学生のような体勢のネコを起こしにいく。

イキナリもちあげて起こすのも気がひけるので、まずは眉間あたりをなでる。リアクションが薄いの手をさわる。それでも思ったようなリアクションが得られないので、手を持ち上げて上半身を開かせる。

ん?

こんだけいじくり倒してるのに、カラダに力が入らない。も、もしかして死にかけてる?!そう思った瞬間、ワタシの世界から音が消えた。頭の中は「わわわわわわわわわわわ」と「わ」でいっぱいになった。

自分でもなんでそうしたのかわからないけど、閉じた目をおもくそあけた。するとネコのカラダに力がはいり、あくびをした。

死ぬかと思った(ワタシが)。

志ん朝さんは生きている

「人はいつ死ぬと思う?・・・人に忘れられたときさ」ワンピースにでてくるDr.ヒルルクの言葉だ。はじめて聞いたのは何年も前で、当時は「はぁ。そうなのかも」としか思わなかった。

最近は台所にたってる時間、ずっと古今亭志ん朝さんの落語をきいている。そのせいか、番組表で「博多・天神落語まつり」とみたときに、自然と「志ん朝さんはでるかな?」なんて思ってしまった。とっくに亡くなってるのに。

毎日、志ん朝さんの声を聞くことでその存在を忘れることなく、当然生きてる、そんな感覚になっていた。

「人はいつ死ぬと思う?・・・人に忘れられたときさ」が数年の時を経て、腹におちた。

様々な神様への注文

この時期にしてはめずらしく、涼しめの風がふく。それも、まあまあ強い。

これは大変ありがたいことで、自然の神様、風の神様、ピクルスの神様など様々な神様に感謝しかないんだけど、1つだけ注文したいことがある。

方角だ。

その方角に吹かれても一切部屋にはいってこない。これでは無いも同然。いや、無いほうがまだマシ。

網戸越しに見える景色、風にたなびくシェードやすだれ、手をのばせば届くところにこのカラダをクールダウンさせる風が流れてると考えるだけで逆上、体感温度は2℃上昇。もったいないさに潰されそうになりながらエアコンのリモコンを探した。

できそこないの世界

いま思えば、2階にある図書館にいくのに、エレベーターをつかったところから時空が歪んだような気がする。

ここ数年はかならず階段、しかも一段飛ばしというよくわからないストイックさを発揮して上がっていってたのに、今日は具体的な体調不良もないのに「こんだけ暑いしたまにはエレベーターもありやろ」なノリでエレベーターにのった。

ウチをでたついでにセール品のウスターソースを買いにスーパーにも寄った。犬のように舌をダランとたらしたおじいちゃんのうしろに並び、自分の番がきたとこでレジのおばちゃんに言われる。「これはぁ1,000円以上お買い上げいただかないとー」。耳を赤くして店を出た。

ここまで来たんだ、近所のスーパーで自転車の空気をいれて帰ろう。チャリとチャリ、ジジイとババアの間をすりぬけて空気入れの場所にいくとこう書いてた。「故障中」。うつむいたまま自転車をこぎだした。

ふだん乗らないエレベーターをつかったところで別の世界の扉がひらいた。しかもできそこないの世界、そんな感覚だった。

正しいそうめん

今年初の油そば風そうめんを食べながら「きのう何食べた?」にでてきた「いい食パンを食べたら元にはもどれない」というはなしを思い出す。

最近食べてたそうめんは、叔母からもらったもので、木箱にはいったえらそうなヤツ。ズルっとすすって飲み込む、ノドでそうめん1本1本を感じて「あ、そうめんって本来こういうもんやった、そやったそやった」と、大きくうなずく。これぞ正しいそうめんだ。

そんな正しいそうめんも終わり、普段から食べてるサンディ(近所のディスカウントスーパー)のそうめんを食べたときにわいてくるのが「あんた、ほんまにそうめん?」という疑いだった。口がこえるって怖い。

世の中にはサンディレベルのそうめんしか知らずに死んでいく人がいる、そう思うといたたまれない気持ちになるし、サンディレベルのそうめんを知らずに正しいそうめんだけを食べて死んでいく人がいると思うと「それはそれで不幸」と強引にマウンティングする自分が情けない。

切り離された世界

中村屋の前で野菜を目の前にして悩むシロさんのように、中国人の八百屋でどのキャベツにしようか悩んでると、左から声がきこえた。

八百屋の左隣の美容院が閉店するようで、オーナーっぽいおばちゃんとスタッフっぽい人が扉の鍵をかける。そこに顔なじみっぽいおばちゃんがオーナーに声をかけていた。

「奥さん、しめはんの?」 「・・・・」 「いやぁ、そうなんや」 「・・・・」

人が無視されるのは、なにも珍しいことではない。子どものころから数え切れないほど見てきたし、自分もしたことがあった。でも、ここまで温度のない無視ははじめてみた。

話しかけられたオーナーは無視したあと、声がする方向をみることなく、スタッフに話しかける。その光景は無視というレベルではなく、映画「アンダーグラウンド」のラストシーンのように世界を切り離した、といったほうがいいのかもしれない。

2人の関係はわからないけど、この切り離しっぷりからすると、話しかけたおばちゃんが理不尽な理由でお店を逆恨み。あることないことを近所に言いふらした結果、客足は途絶え、2ヶ月後、とうとう閉店ってことになったはずだ。

「さすがにそれは考えすぎやろ」と思うかも知れないけど、そんな理由じゃないとあそこまで人を世界から切り離すことはできるはずがない。

近所に住むおじいちゃんH

図書館で落語のCDを返却、スーパーで買い物ついでに午前中から歩く。

しかしHさんである。

交差点の向こうからやってきたのでアイサツをしようと思ったら別人、せまい歩道のはしを歩いてくるからアイサツしようとしたら別人、スーパーですれ違いそうになりアイサツしようとしたら別人。

別人が本人なんじゃないかと混乱するほどに別人。

そもそもHさんのビジュアルがよくない。ジーンズに農家のおっちゃんが着てそうなガラありの襟付きシャツ。それにキャップだ。日本の70代男性の65%がそんな格好だ。

特にキャップがよくない。人の顔を識別するのに重要な目がキャップのツバでよく見えない。だからめちゃくちゃ接近しないと本人か別人か判別できないんだ。

Hさんには即刻キャップを卒業してもらい、オデコに「H」といれてほしい。

理想的な会話

店内はどこを行くにも人とすれちがい、豚肉を手にとるにもすこし待たないといけないほどの人人人。

買ったモノを袋にうつす台ももちろん混んでいて、少しの隙間を発見してとなりいたおばあちゃんに、「おじゃまします」とアイサツしたのをきっかけに「こんでますね」と会話がスタートした。

「この時間はいつもこんなに混んでるんですか?」 「そうなんです。今日は卵や安いし、ここのはモノがいいから」 「そうなんですか」 「近所やからよくくるんです」 「うらやましいです」

ワタシのほうが早く済んだので「お先に失礼します」と言って去ろうとする。お互いに目の前の袋詰作業しながらの会話だったので目をあわせることはなかったけど、最後にこちらをしっかりみて「おきをつけて」と品よく別れのアイサツをしてくれたので、「ありがとうございます」と言って店をでた。

理想的なスーパーでの会話に気分がよくなった。

迷走ウォーキング

いびつなルートを歩くことになったのは曇天のせいでした。

雨が降ってなかったのでウォーキングに出かけたが、今降ってないだけでいつ降られるかわからない。そんな不安から10分もたってないのに頭の中はずっとウチに向かっていた。

でもせっかく出てきたのに帰るのはもったいない。まだ降ってないし。でもそろそろ降るんじゃないかあ。

そんな心配をしながら歩いたもんだから、ウチからそんなに離れられなかった。ウォーキングのルートをGoogleマップにかさねたらジグザグで、心の迷いがハッキリ見えたはず。

もちろん一度も降らなかった。

Wコウジ・東野幸治の涙

松ちゃんの自分が感じる違和感、視聴者が感じてる違和感をしっかり察知してこたえる能力、これにはまいど歓心。

「会見をしたからすぐにテレビに戻れるとかそういう話ではない」「大崎洋は兄のようなもの、あの人がやめたら自分もやめる」「芸人はみんなどこかでお笑いに助けられた部分があるはず」など、テレビタレントとしての優れたバランス感覚を見せつけられた。

そんななか、一番驚いたのが東野の涙だった。

会見のVTRをみてるときにもワイプの中の東野は何度かうつむき、え?もしかして?と思っていたが、VTRが終わって話してるときにフツーに涙を流していた。

「普段泣けへん東野が泣いてるのみて泣けてくる」と涙を流さず洗濯物を干した。